本土復帰50周年を迎えて
角萬漆器は創業約120年近くになりますが、
戦後の混乱期からだいぶ落ち着いて
1960年に正式に法人登録を行いました。
復帰前の前島の様子
沖縄産業の恩人 オグレスビー氏(中央)と4代目(左)1960年代
1972年5月15日に沖縄返還、同時に本土復帰。
戦後から本土復帰までのあいだは漆器製作のための
物資が手に入れづらい状況だったようです。
材料が手にはらないなかでも
創意工夫で戦後を乗り切りました。
『私の戦後史』〈第5集〉沖縄タイムス社 編より
本土復帰後、琉球漆器業界は生産額を伸ばしていきます。
1975年の沖縄国際海洋博覧会は約5億5千万。
最盛期はプラザ合意前の1982年で約7億3千万。
しかしながら、この最盛期をもって下降の一途をたどります。
令和元年では生産額が約7千万、最盛期と比較して
おおよそ1/10にまで落ち込んでいます。
こんなデータも最近発表されています。
「沖縄の伝統工芸品 生産額46年ぶりの低水準 ピーク1982年に比べ4割に下落」
沖縄タイムスより
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/946155
私の感覚ですが、沖縄県内の実際に販売するための
活動をしている漆職人は両手で数えるくらいしかいないでしょうか。
こんな状況を冷静にみつめると
琉球漆器の業界はすでに消滅したのだと感じます。
「消滅の定義」はさまざまですが、
ここは「産地として量産ができない状態」を消滅と表現しています。
もちろん私たち角萬漆器は店舗移転(次のブログ)を機に
沖縄の文化である琉球漆器を一生懸命に制作し販売する所存です。
それでももし弊社がなくなってしまったら
と考えると産地としての琉球漆器が完全に消滅し、
なによりも沖縄の文化のひとつがなくなってしまいます。
このようなプレッシャーを感じていますが、
コロナ禍の昨年より代表になったこともあり
実は私自身、いまがもっともワクワクしています。
・中長期的な事業計画の策定
・ビジョンや理念系の策定
・店舗移転・カフェの併設・オープンファクトリー化
・技術開発
コロナ以前より抱えていた課題は
事業承継の枠組みをつかいながら
経理上の課題も解決しつつあります。
いままでできなかった様々なことが
ようやく自由にできるようになりました。
企業が生き残る上で大事なのは「利益」。
最近良く感じているのは
「私たち角萬漆器の利益は、沖縄の文化に根ざす利益である」こと。
これはひとりよがりの利益ではなく公共性のある利益です。
本土復帰50周年を迎えて過去の歴史を振り返り
未来への道筋に思いを馳せ、
「いま」を大切にこれからも角萬漆器の発展に励みます。
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